2年半ぶり

コロナがまだ本格的になる前の2020年1月23日、ミュージカル刀剣乱舞の歌合に行ったあとに有楽町でやっていた高野くんの天てれステに向かった中々のハードスケジュールが最後だなんて思わなかった。


そこから瞬く間にコロナは流行っていき、公演中止も相次ぎ、明日は我が身明日は我が身と公演中止のお知らせに怯えていた。気づけば、どうせ中止になるならとチケットを取ることもやめてしまい、感染源になりたくないからと現場に足を運ぶのすら辞めてしまった。周りが行ってるのを見ながら最初は羨ましかった感情も段々と薄れていき、「本当にファンなのかな?」「現場に行かないファンがファンを名乗っていいのか?」などと考えるようにもなっていった。


配信が増え、足を運ばなくても良いように運営側で色々模索してくれてるのもわかった。手軽で、安くて、感染の心配もない。それなのに配信に中々手を出せずにいた。やっぱり現地で観たい気持ちが勝ってしまう、でも現地に行くのは不安がある。色んな葛藤があり、いつしか自分はもう舞台のオタクでも推しを応援する立場でもないのかもしれないと思っていた。


たくさん我慢した。

本当は推しにもすごく会いたかった。

でも、自分の仕事柄もし感染源になったら。

自分のせいで周りの人を巻き込んだら。

コロナになれば迷惑がかかり仕事を休まないといけない。家族も感染させてしまう。

必死に我慢して、我慢して、いつまで我慢すればいいのかわからなくなって。


このまま、降りるかな、なんて思い始めたりもして、その度にやっぱり出会った時のキラキラした太陽みたいな高野くんを思い出してまた会いたいって気持ちで毎日頑張った。


コロナだけじゃなかった、仕事のことや家のこと、色んなことで私の心はマイナスなことばかり覚えていた。人に話したらきっと大したこと無いかもしれない。それでも今までずっと高野くんに会うことや舞台に行くことで発散されてたストレスが行き場がなくなってずっと私の心にモヤモヤを残してた。


遊びに行く職場の人間が、腹ただしかった。

感染したらあなたのせいだとも思ってた。逆恨みだってわかってた、別に誰にとめられてるわけでもないんだから行けばいい。それでも行かないを選択していたのは私だ。



今回も延期になるか中止になるか不安だった。落ち着いていた感染者数は案の定どんどん増えていった。東京は3万人を超えた。


こんな中行くの?と親にも言われたけど、今回だけはどうしても行きたかった。我慢の限界とかじゃない、会いたくて会いたくて、本当に仕方なかった。久しぶりに髪の毛をセットして化粧もしっかりして、それでも人にあまり会わないような行き方を調べて会場へ向かった。


開場して、グッズのTシャツを買って、席について。思ったよりも遠いかな?なんて始まるのをワクワクしながら待った。



暗闇に包まれて、音が鳴り響いた。



久しぶりの感覚に胸が踊った。

立ち上がると同時にハッキリとステージが見えた。ステージにいる人影もしっかり見えて、NewDirectionのイントロが流れてきた。

踊って歌う高野くんの姿をしっかり捉えた時、涙が溢れ出した。体が震えて、ボロボロと情けないくらい涙が出た。カッコよくて、キラキラしてて。



彼は間違いなく私の太陽だった。

2年半ぶりに大好きな推しに会えた、それだけで幸せだった。沢山の元気をくれた。零れ落ちそうなくらい元気をくれた。


降りようかな、もうファンじゃないかな。

そんなことを考えてたことも嘘みたいに高野くんの世界をたくさん浴びた。幸せだった。大好きで仕方ないなって再認識させられた。


また会えない日がくる。

それでも、また会えた時に自分らしく胸を張れるように毎日頑張りたいと改めて思わせてくれた。ありがとう。大好きな最推しくん。

推しは推せる時に推せ

こんなご時世になって身に染みるほど思う

「会いたい人には会えるうちに会え」って言葉。いやニュアンスなだけだけど、会いたい人にはいつでも会えるって思ってたら別れなんてあっという間に来てしまう。人間って思ってるより呆気なくて脆い存在だって思い知らされた。


私は中学生の頃から一番好きな俳優さんが居た。写真集を買ったり、彼の出てるドラマはしっかり見たり、DVD BOX買ったりもした。友達も私が彼を好きなのを知っていたからお手紙に写真入れてくれたりしたのも印象に残ってるし、今でも大切に残している。


社会人になって、色んなものにハマりながらも彼のことはずっと好きだった。彼の主演舞台のチケットが取れた。仕事が休めなくて予定が上手く組めなくてチケットを手放した。


きっとまた再演や続編や、他の舞台を観に行けばいい。今回はたまたま運が悪かっただけだ。そう思って手放したチケットだった。


コロナが流行って、彼の主演ドラマが決まった頃だった。ハマっていたゲームのワールドチャットで信じられない言葉を目にした。自分の目を疑ったし、どこのフェイクニュースだよって笑いながら思って検索をしようとする指は震えていた。Twitterで検索をして、すぐにその話題はヒットした。


嘘じゃなかった。本当だった。

彼はもう二度と会えない存在になってしまっていた。息が上手く出来なくて、手が震えて、必死に立ち上がって自分を落ち着かせようとしたけど無理だった。二度と会えない事実に頭は追いつかなくて、気持ちも追いつかなくて、情けないけど声を上げて泣き喚いた。信じたくなかった、信じられるわけがなかった。


歌も出したばかりだった、ドラマだって撮影中だった。映画だって公開前だった。どうして、どうして、という感情しかわかなかった。また会えると思っていたからチケットを手放した。簡単に私の「また会える」は打ち砕かれた。もう二度と会えなくなってしまった、彼の笑顔も優しい声も二度と観ることは叶わなくなった。



彼が居なくなって一年以上経った今も、私は彼の出ている作品を観ることは出来ない。彼が居なくなったことをまだ受け止めきれていないから、ボロボロ泣いてしまう。どうしてあの時無理矢理にでも行かなかったのか、後悔ばかりが未だに残っている。コロナが落ち着いたら、私はもう二度と後悔したくない。会いたい人には多少の無理をしても会おうと決めた。推しだけじゃない、友人だってそうだ。


いつ自分や相手に何が起きるかわからないのだから。絶対に後悔はしたくない。もう二度と失って泣かないようにしようと身をもって学んだそんなココ最近。

何回でも好きになる

ヒプノシスマイクの舞台に出演する、その文字を見た時に私は卒倒しそうだった。

 

 

正直に言って、ヒプノシスマイクの原作自体は友人が好きだから曲も聴いたこともある、キャラも知っている、なんとなーくの設定もわかる。それくらいだった。ラップが嫌いとか、何が嫌とかじゃない、どうしてよ1部のファンの人達の熱気が凄くて色々とハマるタイミングを逃してしまっていたし、どうしても好きになれない部分があった。

 

だからといって嫌いなわけでもないし、何かを否定する訳でもないから私には縁のないジャンルだなってずっと思ってた。

 

 

山田一高野洸

その文字を見た時に私の思考は停止した。

どうして望んでもいないのに自分の好きな子がボロクソに言われて、否定の言葉を投げつけられないといけないのか。

 

どうして、私の好きな子がそこに関わってしまったのか。

 

 

正直どうしたらいいかわからなくて悲しくて、心無い言葉を浴びせる人達に腹が立って、どんな気持ちでおめでとうを言ったらいいんだろうって悩んで、悩んで、ずっと悩んだ。

 

でも、私の好きな高野洸くんはどんなことでも全力でやってくれると思ったから、その姿を観ないと後悔すると思った。本番が始まって、掌を返すように褒める言葉が飛び交った。受け入れてくれない人達だって沢山いる、それは別によかった。それでも受け入れてくれた人たちもいる、それが嬉しくて早く会いたいなって思ってた。

 

 

いつか帝劇に立ちたいって、そんな言葉をどこかで読んだ気がする。一緒に源氏兄弟をやってた三浦くんは帝劇に立った。麻璃央くんも帝劇に立つ。なんで、映像に行きたくてもっと大きなことをしたい彼は立てないんだろうって一度モチベーションが全部落ちてしまった。座席も良くない、楽しめるかも未知数。

 

そんなもの本人には関係ない。

ただのオタクが喚いてるだけだ。

 

 

 

ヒプステ、幕が開いて、曲が鳴って、彼の姿を見た瞬間脳内が痺れた。勝手に涙が出てきた。また、一段と大きく、強く、カッコよくなってた。彼は彼なりに木村昴さんをリスペクトした山田一郎を演じてた。

 

 

ラップだってかっこよく歌い上げて、バラードだって、ダンスだって、煽りだって、全部山田一郎としてやり遂げてた。好きだって感情しか零れなかった。不安な気持ちも何もかも吹き飛ばして、最後は来てよかった、幸せだったって気持ちに相変わらずさせてくれる。すごいパワーだった。

 

 

私は何度目かわからないけど、また、高野洸を好きになった。あと何度好きになるのかは今はまだ全くわからないけど、何度嫌いになりかけてもきっとまた好きになる。

 

 

私が最初に好きになった人は、調子に乗りすぎてしまってどんどんファンが離れていった。たった一度の過ちや、怠惰が全てを奪っていく世界で、彼ならきっとそんなこと感じさせずに笑わせてくれるんじゃないかって勝手に信じている部分もある。

 

 

いつか私が高野洸くんを降りた時は、私が俳優オタクを辞める日だと思う。

 

 

ペンは剣よりヒプノシスマイク!!!🎤

舞台沼って怖いね


私が高野洸くんに出会ってからまだたったの2年。正しくはまだ2年経ってない。好きになることは偶然の連続が必然になるのかな、なんて思うように最近はなってきた。



10年好きなバンドのシドを好きになったきっかけもただたまたま見ていたテレビでものすごく惹かれたからだった。


高野くんに出会ったのも同じだと思う。



舞台にハマったきっかけを作ってくれたのは米原幸佑さんと谷口賢志さんが出ていた「どうしても触れたくない」だった。原作の漫画が好きだった私は当時BLの実写化なんて許せなくて、興味すらなかった。仕事帰りに立寄ったTSUTAYAで新作コーナーに並ぶどう触れを見て物珍しさに友人に写真を送った。


ネタになるかもしれない、思ったよりいいかもしれない、そんなやり取りを繰り返して私は怖いもの見たさにそのDVDを借りた。その日の内に再生して目に映ったものは想像の遥か上だった。


テレビでしか見たことない俳優さんや女優さん達とは違う、名前も普通の人だとピンと来ないであろう俳優さん2人が物凄く綺麗で可愛くて、かっこよかった。そこからの私は簡単に落ちて行って米原さんのソロライブに舞台に、何でもかんでもいけるものは手当たり次第に行った。楽しくて、毎日がキラキラしてた。舞台の上に立つ好きな人ってこんなに素敵なんだと友達に目を輝かせながら語った。



でも、不意に何かの糸が切れてしまった。

会いに行こうと思ってとったチケットも紙屑になった。着ていこうと張り切って買った服もゴミになった。何もかもが嫌になってしまった。自分でも驚くほどその瞬間は不意だった。


好きだった俳優さんにはなんとなく顔と名前を覚えてもらえた頃だと思う。1番楽しくて、一番幸せな時だったはずなのに、何が原因かなんてわからないまま会いに行くことが苦痛になった。


その話をした友達は「頑張り疲れちゃったんだよ、ゆっくり休んで行きたくなったらまた行こう!」と、馬鹿にすることも無く話を聞いてくれた。その言葉通り私は多分疲れていたんだと思う。今冷静に考えたらそこまでする意味もないのに必死に自分をアピールし続けて、気づけばどこかで疎まれて、自分は名前も顔も知らない人にヒソヒソ話をされる。私が楽しめる空間は自分自身で無くしてしまってた。



それでも友達は私を舞台に誘ってくれた。好きな人が出ている舞台の情報は必ず教えてくれた、私がまた楽しめるようになるのをずっと待ってずっと助けてくれた。でも自分でもびっくりするくらいその日は来なかった。



そんな時に犬夜叉の舞台のHPを見た。

原作が大好きだったから興味はあったけど、チケット戦争に参加する気は起きなくてライビュの日に休みが被っていたらライビュのチケット取ってみようかな、くらいの気持ちでチケットをとってライビュを観に行った。


スクリーンの向こうの熱気や拍手の音になんで私は今映画館からこれを見ているのだろう。なんであちら側に行くことを最初から辞めてしまったんだろうなんて思ってしまった。楽しくて楽しくて、ずっと画面を見つめてた。友達はこの話をしたら笑って私が舞台を嫌いになるわけがなかったんだよって言ってくれた。でも、好きだった人達の空間にはもう行きたくないなって思ってしまった。


原作ファンだったから行きたかったナルトの舞台に行くことも出来て、そこで流司くんに出会った。理想のサスケで本当にかっこよくて、彼が加州清光をやっているんだ、って教えて貰ってキャラの違いに驚いたりもした。


そんな時に友人が前々から誘ってくれていたミュージカル刀剣乱舞のDVDをみせてくれた。今度一緒に行こうね、と言われていたのを断り続けてしまっていたから嬉しかった。友人達は2人やそれぞれの友人と観に行く機会も多いだろうなと思いながらチケットの協力くらいはするよなんて言っていた。



協力して取れたのがつはもの公演だった。友人達2人に行ってもらおうと取れた報告をした時にたまたま1人の友人がその日は行かれないことを伝えてくれた。そのままチケットを任せてもよかったのに私の口から出た言葉は「私でよければ一緒に行くよ」だった。そんな2017年の11月8日、私は初めて膝丸を演じる高野洸くんに出会ってそのまま好きになった。


つはものを観に行く前に行かれない友人が「膝丸とか好きになりそうだね」なんて言っていたのを、まぁかっこよさそうではあるなくらいに捉えていた。高野くんのTwitterも見ていたけど年下の可愛らしい子だなとしか思ってなくて、黒髪の真面目そうな青年は今まで好きになったことがないからそれくらいの気持ちだった。


そんな私の考えを全部ぶち壊して行った。

つはものを観劇した私の目に彼だけがキラキラ光って、釘付けになった。びっくりするくらい単純に、友人の言った通りになった。そこからの日々はまた毎日がキラキラしてた。何もかもがかっこよくて可愛くて、初めて写真集のイベントでツーショットも撮った、握手してお話もしてくれた、真面目で優しくて身長の低い私に合わせるように屈んでくれた。


それでもどこかで噂というのは私を攻撃してきて、勝手に嫌になったり不安になったりすることもあった。そんな気持ちを抱えて会いに行くとそんな気持ちを忘れさせてくれるくらいかっこよくて素敵な姿を見せてくれる。どんどん好きになった、もっと好きになりたいって思った。彼は私の楽しい毎日をもう一度復活させてくれた。


初めてのFC開設に立ち合えたこと、写真集の発売、主演朗読劇、ファンミーティング、CD発売。その全てが彼が私に見せてくれた大きくて綺麗な夢だった。彼がやりたいと思うことなら全力で応援するし、支えられるようなファンになりたいって思いながらの毎日が楽しくて。双騎を観た時に「あぁ、高野くんを好きになって応援し続けてきて本当によかったな」ってたった2年しか応援してないくせに心から思えた。それほどまでに高野くんはかっこよく強く大きくなってた。



もし、あの日、私が仕事帰りにTSUTAYAに寄らなかったら?どう触れを借りるという後押しがなければ?嫌になった後に救い出してくれる存在がなかったら?


私は今仲良くしてもらってる方達にも会えないし、高野くんを応援することもなかったんじゃないかと思うと思ったより怖かった。怖いと同時に今すごく全ては偶然という名の必然っていう言葉が脳裏によぎる。偶然でも必然でもどちらでも、私はこれからもきっとどんどん高野くんを好きになると思った舞台沼の恐怖。


好きなバンドが15周年をむかえた

好きなバンドが15周年をむかえた。

私がシドに出会ってまだ10年も経ってない。

2009年の冬にCDTVで「2℃目の彼女」を見たのが初めてシドを知った時。それまでV系が好きじゃなく、むしろ苦手だったから友達が聴いていたV系の音楽も、自分から進んで聴くことはなかったのに。たまたまテレビで見たシドに釘付けになって、その年の秋にアルバムツアーをやることとチケット一般発売がまだこれからだということを知った。ダメ元で初めて自分で申し込んだチケットは当選して、当時まだ中学生だった私は親に一緒に来て欲しいとお願いしてライブに行くことを決めた。

 

そこからは借りてきたシドのCDを全部iPodに入れてずーっと、ずーっと聴き続けてた。なんていう曲なのか、歌詞の意味だってわかってないまま、ただひたすらにこの人達の音楽を聴き続けてた。

 

そして、初めて行ったライブ。代々木体育館の2階席。もちろん肉眼でステージ上のメンバーはほぼ見えなくて、モニターと肉眼と交互に見つめてた。振りなんてものも、咲くってことも、何もかもわからないから周りの人の見よう見まねで必死になってる内に凄く楽しくて楽しくて、iPodで聴いてた曲がかかると嬉しさに必死に跳ねた。大袈裟かもしれないけど世界が変わった。

 

アニメにしか興味が無くて、派手な人が苦手だったのに。こんなに素敵な景色を見せてくれる人たちがいるんだって、本気で感動してそこからはもうずっと応援しなきゃ!ってFCに入ったり、高校に入ってからはバイト代は大体チケット代に消えていった。

 

メンバーの名前をアイロンプリントしたツナギやTシャツを着たりもした、メンバーのコスしてる人に声をかけて写真を撮ってもらったりもした。シドきっかけで出来た友達も沢山いる。内気で決まった友達としか遊べなくて、全く知らない人と関わるのが苦手だった私に勇気をくれて変えてくれたのは紛れもなくシドだった。

 

シドのライブに行きたくてバイトも頑張ったし、プレゼントだって買ったし、手紙も一生懸命可愛く書いた。社会人になってからはようやく遠征も許してもらえて、富士急も行ったし、1人で神戸にも行った。悲しい時は「涙の温度」を聴いて、辛くなった時は「微熱」や「エール」を聴いて、元気になりたい時には「眩暈」や「サーカス」を聴いて勝手にノリノリになってた。私の全ての出来事にいつもシドがいてくれた。

 

ボーカルのマオくんがメニエール病になってしまったり、声帯にポリープが出来てしまったり。富士急の時かな、泣きながら「もう歌えなくなるんじゃないかと思って怖かった」って言葉にしてくれた時に「私も二度と聴けなくなるなんて思うと怖かった」って思って、あぁ、この人の歌声に沢山助けられたんだなって。

 

その後しばらくしてから私は舞台にハマってしまって、仕事を転職する関係で少しバンギャをお休みしようと勝手に決めて音源だけを追っていた。それでも、やっぱり何かある時に聴きたくなるのはシドで、元気になれるのもシドだった。だけど、どこかで、今何が好きかわからない私がシドに会いに行っていいのか?なんてくだらなくてどうでもいい葛藤もした。

 

久しぶりにライブのチケットをとって、久しぶりに会いに行った空間は私が通ってた時と何も変わらなくて、すごく安心して久しぶりに見た景色に嬉しくて泣いた。

 

そんな彼らの15周年ツアーのファイナルに参戦して、ハプニングにもすぐに対応する姿も、具合悪くて離れたところから見ていた人に対する気配りも、メンバーのトークも、パフォーマンスも笑顔も声も全部改めて好きだなって実感したし、この人達に出会えたことが何よりも幸せだと感じることが出来ました。20周年もやるって言ってくれたその言葉に、この人達にまだまだ会えるんだって希望も湧いたし。

 

色んな苦しみを乗り越えてきたからこそ掛けてくれる言葉が的を得てて、昨日のライブでマオくんが「人にはそれぞれキャパシティがあって、どこでそれが限界かは人それぞれだから、90%でも98%でもキャパシティがいっぱいになってきたら逃げ出していいんだよ。シドのライブに来るとか」っていう言葉がすごく重たくて涙が出た。

 

シドの曲に「live」って曲があるんですけどね、その曲に

 

眠れずに夜明けのあなたへ

目を閉じて弱さ聞かせてよ

ひとりきり苦悩のあなたへ

本当にひとりきりなのかな

 

嫌なことだけを忘れることが出来れば

世界はきっと終わる

逃げてもいいから必ず帰れる場所を

明日のどこかにある

 

って歌詞がありまして、前もマオくんは辛くなったり苦しくなったりしたらここ(シドのライブ)に帰っておいで。って言ってくれたりするから、何かあるといつもシドに会いたくなってしまうんだろうなって。

 

きっと15年ずっと追いかけてきて好きな人もいるだろうし、ココ最近すきになった人もいるだろうし、私はまだ9年しかこのバンドを追いかけられてないからずっと好きな人よりはまだまだ知らないシドのことも多いと思う。それでもこんなに好きになってよかったって思わせてくれるバンドって中々出会えないんだろうな。来年、シドを好きになって10年。20周年を迎える頃にはシドに胸を張って愛に行けるようにまた毎日頑張らなければと思いました、とさ。

 

 

おたくのざれごとですね。